■ステージを降りた瞬間、人は「何者」になるのか
大勢の観客、まぶしい照明、チャートを駆け上がる楽曲。音楽家の成功は、外から見ると永遠に続く物語のように映る。しかし、バンドは解散し、メンバー同士の関係は変わり、体力や興味も年月とともに移り変わる。どれほど大きな名声を得た人でも、いつか「音楽の次」を考える時が来る。
興味深いのは、第一線を離れたミュージシャンの全員が、過去の栄光にしがみつくわけではないことだ。農業、科学、医療、工芸、自然研究、さらには国家安全保障まで、音楽とは遠く見える世界へ移った人たちがいる。
だが、彼らの転身を詳しく見ると、完全な断絶ではないことに気づく。音を組み立てる感覚、細部を聞き分ける集中力、ツアー生活で培った忍耐、既成概念に従わない姿勢。音楽活動で身につけたものが、別の仕事の中で形を変えて生き続けている。
■革命的なDJからエミュー農家へ――Terminator X
Public Enemyのサウンドを語る時、Chuck DやFlavor Flavの存在とともに欠かせないのが、DJのTerminator Xだ。スクラッチとターンテーブルを駆使し、強烈なビートと政治的メッセージがぶつかり合うグループの音像を支えた。
ところが、グループを離れて音楽界から距離を置いた彼が選んだのは、オーストラリア原産の大型鳥、エミューを育てる暮らしだった。本名のノーマン・ロジャースに戻り、米ノースカロライナ州の農場で飼育に取り組んだのである。
ヒップホップ史に名を残すDJとエミュー農場。この組み合わせはあまりに意外で、今でもインターネット上で「本当なのか」と驚きをもって語られる。農場はハリケーン被害の影響を受け、エミュー飼育は長く続かなかったとされるが、現在は自分のペースでDJ活動にも戻っている。
ここで重要なのは、復帰が単純な「挫折からの出戻り」ではないことだ。業界の中心に戻るのではなく、自分の条件で音楽と関わる。いったん別の生活を経験したからこそ、音楽を職業や義務ではなく、選択肢として捉え直せたのかもしれない。
■ギターを置き、巨大カボチャを育てたジム・マーティン
Faith No Moreの黄金期を支えたギタリスト、ジム・マーティンは、バンドを離れた後に巨大カボチャの競技栽培へ向かった。
最初は自宅近くの空き地を使った、ごく普通の園芸だった。ところが、より大きく、より重いカボチャを育てることに面白さを感じ、種の選別、土壌管理、水分、温度、成長速度といった要素を研究するようになった。2005年には約1087ポンド、500キロ近いカボチャを育て、大会で注目を集めた。
一見すると、ヘヴィなギターと畑仕事には接点がない。だが、巨大カボチャ栽培は偶然だけで勝てる世界ではない。半年単位で計画を立て、わずかな変化を観察し、失敗の原因を探り、翌年に改善する。良い音を作るために機材や演奏を突き詰める姿勢と、意外なほどよく似ている。
音楽ファンの掲示板では、彼の転身を面白がる声と同時に、「ロックスターにはなれても、誰もが巨大カボチャを育てられるわけではない」という趣旨の言葉が長く語り継がれてきた。そこには冗談だけでなく、名声よりも自分が本気になれる対象を選んだ人物への敬意がある。
■ポップバンドのキーボード奏者から宇宙を語る物理学者へ――ブライアン・コックス
最も鮮やかな転身例の一人が、英国の物理学者ブライアン・コックスだ。現在は宇宙や素粒子の世界を一般向けに伝える科学者として広く知られているが、若い頃はDareやDでキーボードを担当していた。
彼は音楽活動の途中からマンチェスター大学で物理学を学び、素粒子物理学へ進んだ。博士号を取得し、CERNの大型ハドロン衝突型加速器に関わる研究を行いながら、テレビ番組や講演、著作を通じて科学を社会へ届けてきた。現在はマンチェスター大学で素粒子物理学の教授を務め、科学コミュニケーションの代表的存在でもある。
SNSでは、彼が元ポップミュージシャンだったという事実を初めて知った人の投稿が繰り返し話題になる。「テレビで宇宙を説明する教授」と「1990年代のステージでキーボードを弾く青年」が、同じ人物だとすぐには結びつかないからだ。
一方で、彼を単なる“テレビに出る科学者”と見なすことへの反論も多い。研究歴や大学での立場を挙げ、科学者としての専門性を評価する声が見られる。華やかな経歴が注目されるほど、現在の仕事が話題性だけで成り立っているのではないと確認したくなる人もいるのだろう。
コックスの歩みが示すのは、若い頃の進路が人生全体を決めるわけではないということだ。音楽と科学のどちらかを完全に捨てるのではなく、異なる時期にそれぞれを追求し、後にはステージ経験を科学の伝え方にも生かしている。
■パンクのドラマーから身体を支える仕事へ――テリー・チャイムズ
The Clashの初期ドラマー、テリー・チャイムズは、Johnny Thunders、Billy Idol、Black Sabbathなどとも演奏した人物だ。激しい音楽の現場に長く身を置いた一方、身体への負担も強く感じていた。
ドラマーは全身を使う。肩や腰、首、手首には反復運動による負荷がかかり、ツアーでは休養も十分に取れない。チャイムズは自身の不調をきっかけに身体の構造やケアへ関心を深め、やがて音楽活動を離れてカイロプラクティックを学んだ。1994年には英国エセックスでクリニックを開業し、鍼治療の訓練も受けた。
反体制的なイメージの強いパンクバンドのドラマーが、患者と一対一で向き合う施術者になる。その対比は大きい。しかし、リズムを刻む仕事も、身体の微細な反応を捉える仕事も、感覚と反復、集中力を必要とする。
また、彼は後に信仰を深め、教会に関わる活動も行うようになったとされる。若い頃のイメージと現在の価値観が一致しなくても不思議ではない。人は変化し、過去と矛盾するように見える選択さえ、その人にとっては自然な成長である場合がある。
■高速ギターからミクロの機械へ――ダン・スピッツ
Anthraxのギタリストとしてスラッシュメタルの一時代を築いたダン・スピッツが、音楽の次に選んだのは高級機械式時計の世界だった。
時計製造では、目に見えにくいほど小さな部品を加工し、歯車や脱進機を正確に組み合わせる。わずかな誤差が性能を左右し、修理には構造を読み解く知識と、極端なまでの手先の精度が必要になる。スピッツはスイスで専門教育を受け、複雑機構を扱う時計職人として経験を積んだ。現在は独立時計師として、自らの名を冠した機械式時計の製作にも取り組んでいる。
この転身はSNSと相性がいい。Anthraxの楽曲やアルバムに「時間」を連想させる題材があるため、投稿には時計や時間にかけた冗談が並ぶ。それと同時に、「好きなことを見つけ、それを職業レベルまで極めたのがすごい」「演奏で鍛えた指先の器用さが生きている」といった称賛も多い。
ただし、高級時計は価格も高く、製作背景や“自国製”の表示、ブランドとしての実力を冷静に見ようとする愛好家もいる。元有名ミュージシャンという肩書だけで評価するのではなく、時計そのものの品質を見たいという反応だ。驚きと応援だけでなく、専門分野の基準で判断しようとする姿勢は健全でもある。
■熱帯雨林で鳥を描く――ロバート・ディーン
英国のバンドJapanでギターを担当したロバート・ディーンは、音楽活動を離れた後、コスタリカへ移住した。そこで彼が深くのめり込んだのが、熱帯の鳥たちだった。
鳥を見つけ、特徴を観察し、羽の色や姿勢、雌雄や成長段階による違いを描き分ける。彼は単に自然を題材に絵を描くだけでなく、フィールドガイドの制作に関わる鳥類学者・自然画家として評価を築いた。コスタリカをはじめ、中米の鳥類図鑑で多数のイラストを手がけている。
音楽家の創造性は、必ずしも音の中だけに宿るわけではない。ステージで観客に届けていた感性が、今度は科学的な正確さを求められる絵へ向かった。鳥類画は自由な印象画ではなく、識別に役立つ情報を正しく示さなければならない。芸術性と観察科学の両方が必要な仕事である。
ディーンは後年、音楽にも限定的に戻っている。これも「昔の自分へ戻った」というより、自然と共に築いた新しい生活の中へ音楽を置き直したと見るほうが近い。第二の人生は、第一の人生を消去することではない。両方を持てる形に再編集することでもある。
■ギターとミサイル防衛をつないだジェフ・“スカンク”・バクスター
Steely DanやThe Doobie Brothersで活躍したジェフ・“スカンク”・バクスターは、今回の中でも特に異例の経歴を持つ。彼は軍事技術や安全保障へ関心を広げ、ミサイル防衛、対テロ、サイバー戦、ウォーゲームなどについて政府機関や研究組織へ助言する立場になった。
きっかけは、近隣に住む元技術者との会話だったとされる。スタジオで使うデジタル機器と軍事システムの間に、データ処理や信号技術という共通点を見いだし、独学で研究を深めた。やがて海軍のシステムを防御へ応用する構想を論文にまとめ、それが政策関係者の目に留まった。
現在も米国の安全保障系シンクタンクで上級フェローや理事を務め、複数の分野に助言していると紹介されている。ただし、ここでは肩書の表現に注意が必要だ。彼は兵器を設計する技術者としてだけ語られるより、異分野の知識を結びつけ、発想や戦略を提供する助言者として捉えるほうが実態に近い。
SNSでも反応は二つに分かれる。一つは「こんな経歴の人が本当にいるのか」という純粋な驚きと称賛。もう一つは、独学の人物が高度な安全保障分野でどこまで専門的役割を担えるのかという疑問だ。音響と防衛技術に共通する信号処理へ納得する声がある一方、実績を誇張して語るべきではないという慎重な意見も見られる。
この両方の反応が生まれること自体、彼の転身が常識的なキャリア観を大きく揺さぶる証拠だろう。
■SNSが反応するのは「落差」だけではない
こうした話題がSNSで拡散されやすい第一の理由は、過去と現在の落差だ。「政治的ヒップホップのDJがエミュー農家」「メタルギタリストが時計職人」「ロックギタリストがミサイル防衛の助言者」という一文だけで、続きを知りたくなる。
しかし、反応を追うと、単なる珍事件として消費されているだけではないことが分かる。
多くの人が評価しているのは、名声の大きさではなく、別の分野で初心者になる覚悟だ。元スターであっても、新しい世界では基礎から学ばなければならない。学位を取り、専門学校へ通い、畑で試行錯誤し、何年も小さな技術を積み上げる。その姿に「人生をやり直せる」「好きなことを変えてもいい」という希望を重ねる人がいる。
一方で、SNSには検証する力もある。有名人の肩書が過大に語られていないか、本当に専門資格や実績があるのか、現在もその仕事を続けているのか。驚きの物語ほど、事実と脚色を分ける必要がある。称賛と懐疑が同時に存在することで、セカンドキャリアの物語はより立体的になる。
■キャリアチェンジではなく、能力の「翻訳」
6人の歩みを並べると、共通点が見えてくる。彼らは過去を完全に捨てたのではない。音楽で培った能力を、別の文脈へ翻訳している。
DJの観察力とタイミングは農場の管理へ、ギタリストの探究心は栽培や時計製造へ、ステージで複雑な内容を届ける力は科学コミュニケーションへ、身体を酷使した経験は施術への関心へ、芸術的な感性は鳥類画へ、音響技術への理解は信号処理と安全保障の発想へつながった。
転職を考える時、多くの人は「今の経験が次の業界で役に立たない」と不安になる。しかし、仕事の名称が変わっても、その奥にある能力は持ち運べる。集中力、観察力、説明力、手先の精度、計画性、チームで成果を出す力。職歴ではなく能力の言葉で自分を捉え直せば、遠く見えた分野との接点が見つかることがある。
■拍手が止んだ後にも、人生は続く
音楽家の第二幕は、必ずしも第一幕より小さいわけではない。知名度や収入で比較すれば、以前の活動に及ばない場合もあるだろう。それでも、本人が新しい対象に深く没頭し、自分の意思で時間を使えるなら、それは十分に成功と呼べる。
Terminator Xは農場を経験した後、自分の条件で音楽へ戻った。ブライアン・コックスはポップミュージックの舞台から素粒子の世界へ進み、今度は科学の魅力を大衆へ伝えている。ダン・スピッツは高速のギタープレイから、静かに時を刻む機械へ情熱を移した。ロバート・ディーンは熱帯雨林の鳥を見つめ、音とは別の方法で世界の美しさを記録した。
彼らが教えてくれるのは、「何者であったか」より「次に何を学ぶか」が人生を動かすということだ。
ステージを降りることは、物語の終わりではない。照明が消えた後にこそ、他人から与えられた役ではなく、自分で選んだ第二幕が始まるのかもしれない。
・Global News「Life after music: What some artists have done for second acts」
6人のミュージシャンの転身、経歴、第二の活動を紹介。
https://globalnews.ca/news/11967241/life-after-music-what-some-artists-have-done-for-second-acts/
・American Physical Society「Brian Cox」
ブライアン・コックスの音楽活動から物理学へ進んだ経歴を確認。
https://www.aps.org/careers/profiles/brian-cox
・University of Manchester「Academic and research staff」
ブライアン・コックスの現在の大学での役職を確認。
https://www.physics.manchester.ac.uk/about/people/academic-and-research-staff/
・Terry Chimes Chiropractic「About」
テリー・チャイムズの音楽歴、カイロプラクティックおよび鍼治療の教育・資格を確認。
https://chimeschiropractic.com/about/
・Daniel Spitz公式サイト
ダン・スピッツの時計職人としての活動、独立時計製作、経歴を確認。
https://danspitz.com/
・Bloomsbury「Robert Dean」
ロバート・ディーンが元Japanのメンバーで、鳥類学者・自然画家へ転身した経歴を確認。
https://www.bloomsbury.com/UK/author/robert-dean/
・Potomac Institute for Policy Studies「Jeff “Skunk” Baxter」
ジェフ・バクスターの安全保障分野での助言活動、上級フェローおよび理事としての立場を確認。
https://potomacinstitute.org/people/fellows/jeff-skunk-baxter-senior-fellow-and-member-board-of-regents
・The Guardian「Chuck D: Bringing rap to the UK was our British invasion」
Terminator Xのエミュー農場とハリケーン被害に関するChuck Dの説明を参照。
https://www.theguardian.com/music/2022/dec/29/chuck-d-bringing-rap-to-the-uk-was-our-british-invasion
・Reddit「Dan SpitzがAnthrax脱退後に時計職人になったことを扱った投稿」
驚き、時間にまつわる言葉遊び、本人の選択を肯定するSNS反応を参照。
https://www.reddit.com/r/todayilearned/comments/1fszo9z/
・Reddit「Brian CoxがDのキーボード奏者だったことを扱った投稿」
過去の音楽活動への驚きと、物理学者としての専門性を評価する反応を参照。
https://www.reddit.com/r/todayilearned/comments/1drrceb/
・Reddit「Jeff “Skunk” Baxterのミサイル防衛分野での活動を扱った投稿」
転身への驚き、信号処理との共通性への納得、専門性を慎重に見る反応を参照。
https://www.reddit.com/r/SteelyDan/comments/1likrrg/jeff_skunk_baxter_us_missile_consultant/
・eFestivals掲示板「Faith No More」
ジム・マーティンの巨大カボチャ栽培について、ファンの間で長く語られてきた反応を参照。
https://www.efestivals.co.uk/forums/topic/97396-faith-no-more/
※SNS反応は公開投稿の一部を抽出したもので、世論全体を定量的に示すものではありません。